ばけまなび

化学について書きます あとは雑記

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研究室に泊まるということ

今日も今日とて、データをとるために研究室に泊まる。

 

研究室に入ってからこれで何回目のお泊りだろうか。多分両手で数えることはもうできないと思う。ほかの人に話すと、「お泊り会みたいで楽しそう」なんて言われるが、残念ながらそんな甘いものでもない。

 

泊まり込みで実験をするのは、忍耐を伴う。装置の設定をいじって、装置が安定したら、データを処理して雑務をこなし、30分の仮眠、そしてデータをとってまた装置の設定をいじって。これを一人で延々と繰り返す。長い時で48時間、最近はだいぶましだが、それでも24時間は超える。どんなに眠気があっても装置のエラーや暴走は瞬時に止めないといけない。エラー音で目が覚めたときには本当に泣きそうになる。絶望。知人によれば「何がつらいのか分からない」とのこと。確かにこの一連のプロセスに知的労働は一切ないし、人によっては楽なのかもしれない。ただ僕にとってはつらいのだということははっきりといえる。

 

しかしながら、こうやってデータをとることは、誰かに強制されたわけではない。安全に配慮していただいたうえで自分の判断で行っているものだし、仮に誰かを責めるとするならば、それは無能で愚かな自分自身だ。

 

こうしたしんどい泊まり込み実験の時間を、ささやかながら和やかに過ごすハック的なものもある。もしよかったら参考にしてほしい。

仮眠をとる時は、事務椅子(手置きがついていないタイプ)を2つ~3つ並べてそこに寝転がるのが、なんだかんだで一番眠れる。エアーベッドもいいらしいが、より省スペースという点では事務椅子に軍配が上がる。というより、30分の仮眠のためにベッドも寝袋もいらない(断言)。

あと、仮眠をとる前にコーヒーを飲むと、仮眠後の目覚めが割といい。ドラゴン桜にも似たことが書いてあった気がする(出典表記なし)。これに関しては、僕がコーヒー好きというのもあって、夜もコーヒーを楽しめる、という喜びを兼ねている点もある。

 

 

つらいつらいなんて言っているが、僕はこの時間が好きだった。本当に好きだった。新しい何かを生み出す瞬間に立ち会えるということ、好きなことに命を燃やしていられるということ、それは僕に生きている価値さえ与えてくれているように感じられた。こんな時間を割いてやっている僕の研究なんて、別にNatureとか大きな雑誌に載るような研究ではない。死ぬほどしょぼい。びっくりするくらいしょぼい。それでもよかった。僕だけが情熱を注ぎ、僕が生み出したものだった。本当にいとおしかった。

 

けれども、それももう終わり。あと半年もたたないうちに、僕は、今の分野とも研究とも、縁のない仕事をすることになる。別に働くことそのものが嫌であったり、就職先に不満があるというわけでもない。むしろ社会に拾ってもらったことを感謝しないとけない。ただ、僕はもう、何も生み出せやしないし、好きなことに命を燃やすこともないのだろう、とつい考えるのである。これ以上考え出すと、本当に狂いそうになるのでこの辺にしておこうと思う。書いていてつらくなってきた。

 

 

 

 

気分転換に外に出ると、満天の星空、とはいかないが、オリオン座がくっきり見えるくらいには空が澄んでいた。けれども、どんなにきれいな星空を見たところで、僕の虚しさがなくなるというわけでもなかった。

 

こんな文章を書いて何になるのだろうか、とここまで書いて思う。同情でもされたいのだろうか。黒歴史をネットに転がしたいのか。分からないが、どうも荒れ狂った装置がようやく安定したようなので、そろそろ実験を再開したいと思う。