ばけまなび

化学について書きます あとは雑記

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無価値な雑記

師走もあっという間ですね。

どうもたかおです。

 

最近ブログの更新が滞っておりますが、何かとやることがあり、ブログに時間をさけなかったのです。とは言っても今もそんな暇ないのですが、何も書かなければこのままフェードアウトしてしまうかもしれないという恐れが出てきてしまい、慌てて書いているといった次第です。

 

今月中に書こうと思っている小ネタについて、

・ワイゼンベルク効果

・高野豆腐

・久しぶりに感激した音楽アルバムの感想

について書こうかなあと思っているのですが、どうでしょう。皆さんの意見をお聞かせください。コメントしてくれ~。

 

今回は記事にもならない話をぽつぽつと書いていく、日記みたいなものです。興味なければいいね!してブラウザバックお願いします。

 

昔よく行っていたTSUTAYAが閉店した話

学部の頃よく行っていたTSUTAYAが閉店すること、そしてそれに伴って店内のレンタル品を100円で売り払うとの知らせを受けた。近くで講演会があった帰りによって行くことにした。

店内は人でごった返していた。みんな往年の名作映画やJ-POPのCDをがっしり手につかんでは、せわしなく動き回っていた。

かくいう僕はそんなにお金もないので、普段なら絶対に聴かないであろうアーティストのベストアルバムを3枚ほど見繕って買ってきた。

 

1枚はジャミロクワイのシングルのベスト盤。m-floのメンバーの座談が書いてある歌詞カードが入ってた。もう1枚はジェフベックのベスト盤。ジェフベックが半裸でギターを弾いているジャケットー擦れて渋さが増して見える。極めつけはKoЯnのグレイテストヒッツ。KoЯnに関してはあんまり誰も借りなかったのか、非常にきれいな商品だった。

 

僕が音楽に熱中しだしたころは、みんなカセットとかCDに音を入れてそれを持っていた。僕としては音楽は「所有する」ものだった。レンタルしてきたCDを手に入れて、それをラジカセに入れて、CDケースと歌詞カードを眺めながら聞くというのが、僕の音楽への向き合い方だった。けれども、時代が変わって音楽はカセットとかMDとかCDとか、そういう実態を持つことなく、データとして僕らの間を行きかうようになった。音楽はそこにあるはずなのに、CDといった実態を介していないだけで、目の前からふっと消えてしまうんじゃないかという不安に駆られてしまう。これは時代の流れであって、僕はそれに乗り切れていないだけ。こういった違和感もじきになくなるのだろうか。わからない。

 

店から何とか出て、ふと入り口に立って振り返る。あと数日でここにシャッターが下りて、大学時代の思い出の一つも、もっと昔の自分の思いも再現できなくなるのか、ともの悲しい気持ちになった。

 

僕は何も生み出せないという話

僕は「交換不可能なものを生み出す」ことに価値を感じる。VTuber然り、ミュージシャン然り、文章然り、ほかにはない、オリジナリティあふれるものにとてつもない魅力を感じるのだ。そういったものは、出会った瞬間に新鮮な感覚やまた別の感性を与えてくれるように感じられる。それは僕だけでなくて、他の人にとってもそうではないだろうか。

 

例えば、Marty Friedmanの弾くギターソロはオリジナリティの塊である。おそらく世界中のどこを見渡しても、ヘヴィでかつメロディアスに音を選んで弾きこなす人はいない。誰が聞いても「あ、これはMarty Friedmanのギターだ」とわかる。こう言った類が僕が価値を感じるものであるということだ。

 

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(出典: MARTY FRIEDMAN - MIRACLE (Official Video) ProstheticRecordsより)

 

大学でも、様々な人に出会って、いろんなことをしている人に出会った。みんな何かしらの「価値」を持っていて、それを強烈に発揮しているように見えた。それは勉学でも、思想でも、サークルでも、趣味でもそうなのだけれども、「隣の芝生は青い」なんて生易しい物ではなくて「隣の芝生は青色LEDでライトアップ」であった。まばゆすぎて失明しそうである。

 

しかし僕には何もない。思い当たるものが1つとしてない。それがとてつもなく怖い。価値がない物にはとことん冷たいこのご時世ですから。

 

僕の人生はまだまだ面白くなってほしいと思う。今の段階で「お前は無価値だ」なんて言われると、非常にむかついてしまうのも事実なのだが、僕には反証もないし反論なんてできないのである。

 

だからかもしれないけれど、このブログは僕にとって価値あるものでありたい、と思って書いている。僕は、ある事象について捉え、新たな言葉で解釈を提示できる存在となることで、存在意義を果たしたいと願っている。

 

人にとって価値は様々だし、こうあるべきなんて決まってないのだけれども、僕自身はそうでありたい。そうでない現状を超克していきたいけれど、越えられずにつらいという話である。もっと成長したい。

 

以上

では。

 

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