無価値な雑記 よたび (僕と論文)
無価値無価値と無価値を並べるのは一週間ぶりです。
どうもたかおです。
ブログの記事を書かなければならない、と先週から何一つ生み出すことなく、またこの日曜日がやって参りました。1つのことにしか集中できない性分ですからおそらく修論発表が終わるまでこの調子なのだと思います。
さて、週一回はてなブログを開いて何かを書くと宣言したものの、私の人生というのはとてつもなく平凡でつまらないものですから、日記を書こうといっても大したものは書けないわけです。無価値な雑記、と題しまして、理系大学院生のしょうもない頭の中を書き連ねていこうと思います。
新聞みたいなものに論文が紹介された話
嬉しさのあまりTwitterでは既にぺらぺらと書いてしまったのだけれども、先日僕が書いた論文がとあるカナダの雑誌で「A key scientific article」,つまり科学的に意義のある論文としてとして紹介されたという。取り上げられるのは地球上でパブリッシュされた論文の内の0.1%以下とのことなので、結構珍しいらしい*1。自分の研究が意義のあるものだと他人から評価されたこともなかったので青天の霹靂だった。
自分が好きなことを突き詰めてきただけだったので、特に高尚な目標とかもなかったのだけれども、頑張ってきてよかったという感想が一番大きい。
特にこれまで自分の研究にスポットライトが当たったこともなかったので、これを機に、これらの成果が正しいかも含めて議論が進んでくれれば、今取り組んでいる学問分野がもう少し進むと思う。それに期待したい。
テクノロジーの進化についていけないという話
僕はこう見えて(?)ハイテクな機械が苦手である。
メモしたいな~となったら大抵は手書きだし、ディスプレイ上の文章を読むのが苦手すぎて論文は印刷してそこに鉛筆で書きこみながら読むような人間が僕だ。今の若い人には当たり前にデジタルにできることだし、おそらく僕が慣れられていないというのが問題なのだろう。
もちろんパソコンの操作もできるし、機械を使うことに苦手を感じたりはしないのだけれども、iPhoneが出てきたあたりから、ITに巻き起こったダイナミクスに全く乗り切れていないと感じている。
CPUだとか基盤の性能が上がるにつれて、デバイスでできる事の幅はとても広くなったように感じている。そのたびに新しいソフトや機能が追加される。こういった類の機能の中には全く使いこなせていないものもあれば、訳も分からず使っている気になったものもたくさんある。
今どきの子供はこれらを特に抵抗もなく使いこなしている。おそらくそれを基盤にした発想で彼らは自由に発言したり、モノづくりをしたりするのだろうけれども、これから先僕はそのダイナミクスについていけるのだろうか、という不安は正直ある。理解もできないのに発言してローガイ扱いされるのかもしれない。現にそういう社会が目の前に広がっているわけだし。肩身が狭い世の中です。
常に最新のテクノロジーの流れが出てきたら、抵抗せずに挑戦していきたいし、それにまつわる原理原則はおおざっぱでいいから学ぶようにしていきたい、と社会人になるのを前に常に意識するようになったという話でした。
以上。
*1:知らない