ばけまなび

化学について書きます あとは雑記

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科学的思考ってなんだろうって思った件

どうもたかおです。

 

今回は雑記を書きたいと思います。

腐っても理系大学院生であるところの私ですが、BOSSと議論するときや、学会で教授の方々と話すとき、それこそ科学(化学)に関する記事を書くときに「今言っている内容は科学的に考えられているだろうか」ということを念頭に置くようにしています*1。いまだにそれがちゃんとできているか、と言われると、残念ながらまだまだですし、「科学的思考とはなにか」という本質を完全に掴み切れたようには思っていません。ただ”その一面”を研究室配属からの三年間で垣間見て体験することができたのではないかと思います。

  

今回のこの記事では、改めて、科学的思考とはいったい何なんだ、なんて考えて、その結果どのような考えにたどり着くのか、とりあえず書いてみようというわけです。特に参照しているものもないので、「愚者は経験から」語りだす典型例となっていそうで本当に怖いのですが、どうか読んでいただき、意見を頂ければ幸いです。

 

科学的思考ってなんだろう

科学的思考とは以下のことをすべて包括してもっともらしいストーリーを記述することだと思っています。

 ・これまで明らかにされてきた原理原則

 ・観測された結果

それによって得られたもっともらしいストーリー科学的事実(=真理?)と我々がみなしているものあり、絶え間ない探究によってストーリーを紡ぎ続ける人間こそが科学者なのかなと思います。

 

これまで明らかにされてきた原理原則というのは、分かりやすい例えでいうと「質量保存の法則」であったり、「燃焼の三要素」であったり、過去の蓄積によって既に私たちのほとんど、ないし誰もが共通して認識している、あるいは認識可能な真理のことを指します。結局のところ、それを踏まえていない思考というのは、誰にとっても理解しがたいものになるし、少なくとも真理とは異なる、矛盾したものになってしまうわけです。

 

観測される結果、というのは、まさにその通りの意味であって、私たちが実際に測定実験を通して実際に見ることができた結果です。これがないと、実際に得られていないことのみ、すなわち、空想や妄想の類によって紡がれたストーリーになってしまうでしょう。

 

我々全員が矛盾なく理解できる真理を導き出すために、上で述べたようなやり方で考える事は必要だと考えています。

 

思い込みって怖い

こういった考え方*2を行う上で非常に危険視しないといけないのが思い込みだと思っています。怖いことに、「こうなるはずだ」と考えながらデータと向き合い続けると、そうなることありきで観測された結果を選別し、都合のいいように解釈してしまうことが起こりえます。これによって得られたストーリー(ファンタジー)は、多くの人の心を掴みかねないですが、それは客観性を失った、真理とは程遠いものになってしまうでしょう。もっと怖いのは、事実にすら基づかない主張。観測事実も統計データも存在していないはずなのに、あたかもそれが有るように思い込んでしまい、とても素晴らしいファンタジー作家になってしまう。具体的に何とは言いませんが、某細胞関連でもそういうことがあったことは未だ覚えている方も多いと思います。

 

軽微なものならば、実際の科学の世界でも往々にして起こっている気がします。雑誌会などで論文紹介をすると、BOSSから「その結論は当人がそう思いたいだけでしょう。データからはそれを読み取ることができない」というようなことを指摘され、「原理原則に基づいて考えればそういう解釈につながらない」ということを言われます。結構極端な例を挙げると、「(AからはBという性質が出るはずで、測定したらCという結果になるはずだ。)Aに対して測定を行うとCになったのでAは確かにBという性質をもつ。」ということをもっとオブラートに包んで言っていたりする論文。測定ミスの可能性や、最初の解釈(仮説)の妥当性をあやふやにした状態で、もっともらしい結論を提示する手法は腐るほど見てきました。読んでいるとき、人の発表を聴いているときはなんとなく納得してしまうけれども、原理原則を知らないがゆえにまやかしに飲み込まれていっていたなとと毎度気づかされ、自分の未熟さを恥じるのです。

 

これまで明らかになっている事実を包含するストーリーを求める

上までの話が正しければ、真理はただありのままにそこに存在しているわけではなくて、私たちの解釈、ストーリーテリングによってはじめて形を持つと言えます。従って、こうであってほしいという願望、こうであるべきだという思い込み、天才を騙った素っ頓狂を持ち合わせては、真理を知りえないのだろうなあと思います。私たちは往々にして何が正しいのかを考えます。ですので、事あるたびに「正しさ」について考えていくならば、科学的思考は重要であると言えるかもしれません。

 

そうでなくてもー例えば、何か複雑な課題にぶち当たった時(人生の岐路であったり、社会問題であったり)にもー冷静に現実を直視し、都合のいい考えを一切含まずに、目前の現状を概ね包括しうる解釈を得る術があれば、抱えている問題を解決する方法の糸口も分かってくるのではないでしょうか。

 

最後に(長くなったけれど)

ニュースを見れば、あたかも当然かのように単一解釈を先に提示したうえで進められる議論、ネットを見れば、フェイクニュースが飛び交う。SNSを見れば極度の一般化が行われ、それが正しいかとかそっちのけで、都合のいい面白い解釈を求め、求められているのではないかという気もしなくもありません。

 

しかしながら私はそういった類のことを批判したりする気力も権利も持ち合わせてはいないし、それもまた観測される事実である以上受け入れ、包括していかないといけないのだろうなあと思います。

 

ほんの少し私が許せないのは、思い込みで科学を解説ーいや、「ファンタジーを語る」姿勢、それでもって自分に権威を持たせている姿勢の人がこのインターネットに存在することです*3。もっともこのブログもその片棒を担ぐ可能性を秘めているわけですが。怖。

 

ここまで科学的思考って何だろう、と考えながらあれこれ書いてきたわけですが、結局それを踏まえて私は何を思ったか。別に普段生活しているときは、屁理屈でも何でも言ってへらへら笑っていればそれでいいと思っているのですが、それでも常に、(もちろん私が思うところでしかない)科学的思考を意識して、全てを受け入れ、捉え、包含して解釈する不断の営みをつづけていきたい、そう思いました。

 

 

 

 

 

は、意味わからんし。

 

何言ってんだこいつ

 

馬鹿丸出しかよ

 

とりあえず湊あくあ*4アーカイブ見よ.....

 

 

これがどうか、独りよがりな文章にならないよう、何が言いたいのか結局分からない文章のままで終わらないよう、適宜見返して修正していきたいです。

 

では

 

 

*1:というより置かないと詰められるよね

*2:まともに説明できている気がしない

*3:少なくとも半分以上は、私達に新たな科学の描像を与えてくれる貴重な方です。

*4:バーチャルYouTuber。私がよく見ているVTuberである。かわいい。Aqua Ch. 湊あくあ - YouTube