研究室に泊まるということ 2
今日も今日とて研究室に泊まる。
果たして有用な実験結果になるのか、それは全てのデータが揃って初めて分かる。実験は答えありきで行ってはいけない。失敗データが出る事例を除けば「こうなるはずだ」という先入観を捨てて実験しないといけない。今は焦ってもしょうがないし、着実にデータをとることだけに集中しないといけない。
こんな偉そうなことを書いているが、実際のところ自分の実験はたいして重要なものではない。BOSSも特に僕の実験に関心を持っていない。僕そのものにも期待していない。改めて、自分が価値のない人間だと感じられて、どうも鬱屈とした気持ちになる。よく言う話だ。「結果がすべて」「終わり良ければ総て良し」である。僕は頑張っているつもりだ。けれども、要は僕が生み出すものは客観的に見てもひどいものだし、僕という存在は総じて無意味なのだ。今すぐ実験装置をぶん投げて窓を突き破って飛び降りてやろうか。そして夜のキャンパスで喉が嗄れるまで叫び散らしてやろうか。いや、それすらも無意味だ。僕の為す何もかも、おそらくは。
前回も書いた気がするが、深夜一人で測定なんてしていれば精神がおかしくなる。こういう時に、メンタルが強い人、ないしメンタルを強く保とうとすることができる人にはとても憧れるし尊敬できる。力強く人生を歩もうとする志を持てるというのは、人生をとても豊かにすると思う。
そんな「精神」もとい「メンタル」は、時に身の回りのものに例えられる。例えば「鋼のメンタル」「豆腐メンタル」という言葉を聞いたことがないだろうか。鋼は硬くて丈夫だし、豆腐は力を与えれば容易に粉々になる。力(応力)は英語で書けば「ストレス(Stress)」だ。メンタルがぼろぼろになった今の状況下では、いい類推だなあと、こんなしょうもないことに感心するものだ。馬鹿らしい。
そんな中で、メンタルっていうのは、金属や結晶性プラスチックみたいな塑性体なんじゃないか、なんて妄想をしたりする。ほんの少しだけ力学をやったことがある人なら多少は同意してくれるのではないか?と少しだけ期待する。おそらく本筋の方々からすれば、噴飯ものだろう。
人間のメンタルにかかるストレスというのは単純なモードでは記述できないと考えられるため、こんな話を持ち出すのはナンセンスだが、メンタルという塑性体に一軸伸長がかけられたとき、すなわち縦方向に引っ張る力がかけられたときに、どのような変形をするのだろうか考えてみる。
ほんの少しの応力ならばメンタルは非常に微小な変形しかしないし、多少強く引っ張ったところで元の状態に復元することができる(線形域; フックの法則が成り立つような領域)。しかしあまり強く応力がかかると、メンタルはたちまち伸び切ってしまって、ひずみが残ってしまうようになる(降伏)。そして応力がなくなってものびきったまま。もう二度と戻ることはない。そこからさらに強い応力がかかれば、メンタルはどこかで破断して切れてしまうー廃人の様相とでもなるのか。
ある種の塑性材料の応力ひずみ曲線 (出典: Wikipedia)
案外と人間の精神とストレスの関係と似通っているように思えないだろうか。僕は人間の精神について何も知らないド素人なので、感覚でしかないのだけれども。
いろんな人のメンタルを、それこそ弾性率や引張強度などで見て、いろんなものに例えてみると面白いかもしれない。人によってポリエチレンメンタルだとかコンクリートメンタルであったりとか、メンタルの表現にもいろいろ出てくるかもしれない。
メンタルをモノに例えれば、もう少し面白い考えもできるかもしれない。鋼のメンタルだって、知らないうちにでっかい亀裂(クラック)とか空洞(ボイド)が生じていて、簡単に破壊されるなんてこともあるかもしれない、といった類の妄想。豆腐メンタルだって、(豆腐は塑性体ではないが)凍結解凍すれば高野豆腐みたいに多少の引張には耐えるものになるかもしれない、などといった空想。メンタルも、場合によってどこでどうなるか分からないのかもしれない、なんて、こんな独りよがりな考え方、正気な時に見たらきっと恥ずかしくて死んでしまうだろう。
僕は.....鋼とは言わないので、炭素繊維強化プラスチックくらいのメンタルがほしいなあ(遠い目)。
皆さんのメンタルは何でできているだろう。もしよかったらコメントしていただけると嬉しい。こう言った考え方に関する感想もあれば、好きに書いていただけると本当にありがたい。このブログは皆さんのレスポンスで成り立っている。
専門のことでもないくせに、偉そうに書きすぎた。おそらく多くの読者を置き去りにしているだろうし、ここまで読んだ人はおそらくいないだろう。装置の調子が少し悪そうなので、そろそろ調節に入ろうと思う。エラー音が胃にまで響いてくるようだ。
こんな状態で、僕のメンタルは、摩耗にどこまで耐えられるのだろうか、まだまだ夜は長い。